「砂の女」(安部公房)①

サスペンス・ホラーとしても超一級

「砂の女」(安部公房)新潮文庫

砂丘へ昆虫採集に出かけた「男」は、
砂穴の底に埋もれていく一軒家に
幽閉される。
その家の「女」は、家を守るために
「男」を引き止めておこうとする。
考えつく限りの方法で
「男」は脱出を試みるが、
ことごとく失敗に終わる…。

言わずと知れた安部公房の最高傑作、
いや戦後日本文学の一つの頂点です。
しかし、文学作品だからといって
難しく考える必要はありません。
本作品はサスペンス・ホラーとしても
超一級です。

作品は第一章から
第三章まで分かれていますが、
第一章は得体の知れない砂底の家に
閉じこめられた「男」の恐怖物語です。
一夜の宿を求め、
村の権力者の老人に
「あんたの気に入って
くれさえすりゃいいが…」と言われて
案内されたのが砂底の家。
とんでもない家です。
「壁ははげ落ち、
 襖のかわりにムシロがかかり、
 柱はゆがみ、
 窓にはすべて板が打ちつけられ、
 畳はほとんど腐る一歩手前で、
 歩くと濡れたスポンジを
 踏むような音をたてた。」

それどころか風呂もない、
水はバケツ一杯しかない、
砂が頭上からふってくるために
傘を差して食事をする、
夜通しで女が砂掻きをしている。
それがごく当たり前になっている世界に
突然投げこまれたのですから
不安を感じないわけにはいきません。

さらに、女の言葉の端々に、
恐怖の予感が隠されているのです。
風呂はないかと尋ねると
「明後日にしてください」。
砂掻きを手伝おうとすると
「最初の日からじゃ悪いから」。
一泊の心づもりの「男」は
不思議がるだけですが、
読み手は流れが読める分だけ
恐怖を掻き立てられる仕組みです。

そして第二章は
その砂底の家からの逃走劇です。
砂の壁の一角を崩して
傾斜を緩めての脱出作戦、
女を人質にとっての強攻策、
さらには布地を撚り合わせた
紐を使っての隠密行動。
読み手が考え得る手段を
安易なものから並べ、
ことごとく失敗させます。
「男」の敗北感が、
そのまま読み手に伝わってきます。

最後の短い第三章は、
一見「大団円」です。
「男」は心の安らぎを見い出すのですから。
しかし「男」が感じた充足感は、
砂底の生活に
自分の打ち込むべきものを
見いだしたからなのです。
だからこそ脱出が
可能になったにもかかわらず、
砂底の家に止まったのです。
読み手からすれば、
「男」が狂気の世界に
飲み込まれたかのように感じられます。
これこそが本当の
「恐怖」なのではないでしょうか。

緻密な描写の積み重ねで
異常な世界に写実性を持たせ、
語り手が「男」の視点に
大きく接近することで
恐怖の心情を読み手に的確に伝える。
そうした安部公房の
構造上のマジックと相俟って、
本作品は何度読み返しても、
その度に手に汗を握ってしまいます。

かなり難しいとは思うのですが、
本作品を中学生高校生に
薦めたいと思います。
新しい読書の地平が
切り拓かれるはずです。

※一部に性的表現や描写を含むため、
 青少年向けではないという
 見方もできます。
 しかし、本作品を「高いレベルで
 文学に昇華したミステリー」と
 考えたとき、
 娯楽作品から文学作品への
 橋渡し的な作品として
 機能するのではないかと思うのです。
 私も本作品によって、
 読書の森の深奥に
 踏み進んだのですから。

(2018.10.29)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA